ゆっくりと、ラテン語

ゆっくり楽しくのんびりと。Festina lente

私の日常とラテン語

ずいぶんお久しぶりのブログになってしまいました。

 

実にゆっくりと、ラテン語の学びを続けています。ただ思ったとおりにいかないのも事実です。びっくりするほど進まないというか進めないというか…あまり長時間向き合うとけっこう疲れます。

 

現在、二ヶ月に一度、叙事詩アエネーイス」を読むクラスに参加しています。3時間で10行ほどの詩を読みすすめていくのですが、事前に辞書を引いて自分なりに訳してみる、ということに日々取り組んでいます。

アエネーイス」は一行が6から8単語、二ヶ月もあれば10行くらい何でもないのではと思われるかも知れません。ただ、まだまだ時間があるから今日はいいかなあと思ったり、疲れて辞書を引く気にならなかったり、という日々が続くと、あっという間に時間がたち、期日が差し迫って、何とかばたばたと訳し終える、ということを何回か繰り返しています。自分の中で、まだうまくペース配分ができていないようです。

 

でもクラスに参加していて思うことは、「アエネーイス」は空よりも高く、海よりも深い作品で、それは私が思うよりもずっと高く、深いのではないかと。あまりに壮大で、相対するだけで疲労するけれど、でも乗りかかった船だと思うし、進めるところまで進みたい。という感じで、もがいている状態です。

 

 

 

ささやかな喜び

先日、NHKブラタモリを何となく見ていたら、「メサ」という言葉が聞こえてきた。

「確かラテン語でテーブルってメンサだなー」とぼんやり思っていたら、メサというのは地形に関する言葉で、テーブル状の台地のことだそうで、スペイン語でテーブルを意味するmesaから転じた言葉とのことだった。

スペイン語は、ラテン語の子供のようなものだから、mensaがmesaとなってスペイン語に残っているのではないかと思う。

語学を勉強していると時々、自分の中で点と点が結ばれるような、何かに気づく時が訪れることがある。それは本当にささやかで他愛もないことかも知れないが、私にとってはけっこう嬉しいことで、自分だけの宝物を見つけたような気分になる。

そんな瞬間を、これからも面白がりながら、見つけていきたいと思う。

「アエネーイス」日本語訳を読んでみた

私がウェルギリウス、及び叙事詩アエネーイス」に心惹かれる理由の一つは、詩人の遺した言葉はかっこいいものが多いから、だと思う。

冒頭の「Arma uirumque cano」アルマ ウィルムクエ カノー 

戦争と英雄を私は歌う

「Musa, mihi causas memora」ムーサ、ミヒー カウサース メモラー

芸術を司る女神ムーサよ、私にその理由を語れ

そして「私の好きなラテン語の言葉ベスト3」に確実に入るであろう

「Solve metus」ソルヴェ メトゥース 

恐れを解き放て。

 

私は今、「アエネーイス」の講読に参加していて、辞書をひきながらラテン語で読み進むことに挑戦しているが、まずは日本語訳で読んでみようと思い、上下巻に分かれている岩波文庫の「アエネーイス」を図書館で借りてきた。

ぱらぱらとめくってみて、まず思ったことは、全部読めないまま返却することになるんじゃないか…ということだった。私はとても飽きっぽい性格で、長編小説とか読むのは大の苦手なのである。

読み始めて、特に大変だったのは第2歌と第3歌だった。ここでは主人公アエネーアースがカルタゴの女王ディードーに請われて、これまでのいきさつを語る場面なのだが、とにかく長く感じられた。「まだ終わらないーアエネーアースの話長いよ…」と思いながら読んでいた。それでも読み進めることができたのは、私は夜寝る前に少しずつ読んでいたのだが、眠い目をこすりながら、よくわからないながらも古代ローマ人の遺した叙事詩を読むということが、いつの間にか習慣になっていて、これをやらないと何となく気持ち悪く感じられるようになっていたからだと思う。

ようやく第3歌が終わると、第4歌はディードーが亡くなる場面で切ないのだが、切ないがゆえに美しいシーンもあり、第5、第6と進んでいくことができた。

ここまで来ると、半分読んだのだからこの調子で、という感じで下巻も読み終えることができた。2か月くらいかかったと思う。

 

そしてもう積読の心配はしなくてもいいだろうと思い、京都大学学術出版会刊行の、「アエネーイス」を購入した。あらすじはわかったので、解説から読み始めたのだが、この解説がウェルギリウス愛に満ちていて、何度も読んでしまい、なかなか本文まで至らないのだが、もうどこかに返却する必要もないので、ゆっくり読んでいきたいと思う。

 

日本語訳を読み始める前は、「アエネーイス」は英雄の活躍を華麗に語る勇ましい作品なのではと思っていた。しかし、読み終わって感じたことは、どうしようもない物悲しさだった。なぜこんなに悲しいのか、その理由を知りたい。

その理由を見出すことが、私がラテン語を学ぶ理由の一つであるように思う。

 

 

 

 

航海の始まり

現在、私は全6回の文法の講座を終えて、講読のクラスに参加している。

実際にラテン語で書かれた作品を読んでいるのだが、その講座で古代ローマの詩人ウェルギリウス叙事詩アエネーイス」を読むことになった。

いつか読んでみたいなあと漠然と思っていた作品にとりかかることになり、予習を始めたが、やはり難しかった。それでも楽しみに講座の日を待った。

 

12歌にもわたる長い長い叙事詩の冒頭は、すっきりとした3語から始まる。

Arma uirumque cano  アルマ ウィルムクエ カノー

通常、戦争と英雄を私は歌う、と訳されるその3語、たった3語について、先生は30分以上かけて説明され、さらに「放っておいたら壊れたテープのように話し続けるので」と言われた。

戦争と英雄ーそれは主人公と、彼がこれから立ち向かう戦い、という意味だけではなく、古代ギリシャの2大叙事詩イリアス」と「オデュッセイア」を指していて、この2つに匹敵するもの、いやそれ以上のものを俺がこれから歌うのだというウェルギリウスの強い意志がこめられていた。私はただただ圧倒され、ノートにたくさん書き込みをした。自分が想像していたよりもずっと高く、ずっと深い世界が目の前に広がっているのを感じた。

 

私は今、長い長い旅が始まったような気がしている。どこまでたどりつけるかわからないが、行き先を楽しみに、進んでいきたいと思う。そしてこのように美しい文学作品を生み出してくれたウェルギリウス、またこの作品を後世に遺してくれた先人たちに、感謝の気持ちでいっぱいである。

 

 

安全運転の呪文

Carpe diem

カルペ  ディエム   今日の花を摘み取れ

Quo vadis 

クオーヴァディス  あなたはどこへ向かうのか

Festina lente  

フェスティーナーレンテ   ゆっくりと急げ

ラテン語のことわざは、すっきりとかっこいいものが多い。私がラテン語を始めたのは、ことわざをまるごと理解できたら楽しいだろうなあと思ったからである。

学び始めて出会った美しいことばたちは、私の身のまわりをぐるぐると回る。

例えば車を運転する前、「Nil admirari」(ニールアドミーラーリー  何ごとにも心を動かされないこと)と、3回つぶやいてからハンドルを回す。

また、勤務先で使っているノートの一番最初のページには「Acta non verba 」(アクタ、ノーンウェルバ  言葉でなく行動を)と書いてある。新しい仕事に取りかかる前などに、その言葉を目にすると、何となく勇気づけられるような気がする。

別にラテン語でなくてもいいのだろうが、テクマクマヤコンやアブダカタブラのように、何だか呪文を唱えているような気分になってくる。

言葉には魂というか力があると思う。ささやかなことかも知れないが、でも確かに、私の日常を助けてくれている。

 

ラテン語のことわざ及び訳は、私のラテン語の先生である山下太郎先生のこちらの本を参照しました。たくさんの美しいことばについて書かれています。ぜひ!

 

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ご挨拶

 Liliと申します。

趣味でラテン語を学んでいます。

 

ラテン語がわかったらかっこいいかもーくらいの気持ちで講習会に参加して3年、途中挫折とか放置とかもありましたが、ラテン語の糸は何とか切れずに残り、今に至っています。

先日、講習会に参加してその帰り道、夜風に吹かれながら、こういった会に参加でき、学びを進めることができるのはとても幸せでラッキーなことだとふと思いました。

こんなに幸せでラッキーなことを自分一人にとどめておくことは、何となくもったいない気がするので、ラテン語について私の言葉で綴ってみようと思います。

 

これからも、学びを続けていけますように。

新月の日に☆

 

 

それにしても、ブログを開設するってなかなか労力のいることなのねえ…